教養のある人間への第一歩!
誰もが一度は耳にしたことのある有名な俳句を正しく暗唱し、意味までも人に教えられる人になろう!
松尾芭蕉
古池や 蛙とびこむ 水の音
この句を聞いたことがないという人はいないと思います。
もちろん、池に蛙が飛び込む様子を詠んだものですが、芭蕉が伝えたかったことは何なのかを考察したいものです。
古くから、俳句、和歌の世界において蛙を登場させるときは、その鳴き声について詠むのが常識とされていたそうです。
そんな中、芭蕉が池に飛び込む音を詠むという斬新なことをやったものですから、当時かなりのセンセーショナルを巻き起こしたようです。
この句をもって芭蕉の句風が確立したとも言われており、これが芭蕉の作品の中でもあまりにも有名なのは、そういう背景があってのことだと思われます。
さて、蛙を主題とした歌会で詠まれたこの句ですが…
この句の主役は蛙ではありません。
まぎれもなく、古池のほうです。
「古池や」と感嘆しているわけですから、芭蕉が古池のことを詠みたかったのは間違いありません。
どこの池だったかについては芭蕉庵が有力とも言われているようですが、いろいろと説があるようで、特定されていません。
で、芭蕉は池の何に感動したかというと、その静けさに他なりません。
小さな蛙が飛び込む「チャポン」という音まで聞こえてきた、それほどの池の静寂に感嘆したのです。
私たちの生活の中でも、例えばものすごく静かな場所にいて、誰かが「あっ」と声を発して静寂が破られたときに、「あぁ、そういえばここはすごく静かだなぁ」ということを認識することがあるかもしれません。
蛙の飛び込む音を通して、自然の作り出した静けさ、静けさゆえの池の存在感に感動を覚えた芭蕉の秀句です。
閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声
芭蕉が山形県の立石寺を訪れたときに詠んだ一句です。
「古池や…」と同様、静けさに感動しての句であることは言うまでもありませんが…
「蛙が飛び込む音なら分かるけど、蝉の鳴き声となると、静けさが引き立つ以上に、うるささが先行するのでは…?」と、ごく一般的な感覚では思ってしまいますね。
そこは深すぎる境地ですね。蝉の声をも吸い取ってしまうような岩山全体の静けさ、雄大さに敬意を表しての句といったところでしょうか。
ただし、この句、初案は「山寺や 石にしみつく…」だったそうです。
つまり最初は「静かなのに蝉?」という矛盾を感じさせる句ではなかったわけです。
それがずっと後になってから「閑かさや」と直された…ということは、芭蕉は時の経過により、この句を現実描写よりも、より感情表現の意味合いの強い句に仕上げたということではないでしょうか。
そんなこんなで奥の深い句ですから、この蝉というのが何の種類の蝉なのか、単数なのか複数なのかというところで、激しい議論が展開されてきた流れがあります。
もちろん、その点に関して私たちが100%の確証を得ることは今後もできないでしょうが、時期的なことなどを考慮して、「にーにー蝉」であったという説が若干強いようです。
五月雨を 集めてはやし 最上川
この句ゆえに、最上川の名を知らない人はいないでしょう。
船問屋でもあった俳人、高野一栄宅での句会において詠まれた句ですが、これもまた初案は違うものでした。
「はやし」ではなく「すずし」だったのです。
すさまじいギャップです。
「すずし」というと、水面に落ちた葉っぱもゆったりと流れていくような、のどかな川を連想しますが…
「はやし」だと、ものすごく水量が多くてゴーゴーと音をたてながら渦巻いている川を思い浮かべますよね。
では実際のところ、芭蕉が触れた最上川はどちらの状態だったのでしょうか。
結論から言うと、ゴーゴーと音をたてていたのです。
当時は梅雨で、雨が短い周期で降り続けていたそうです。
最上川の茶褐色の激流は、見る者を圧倒するほどだったようです。
では、なぜ第一声として芭蕉は「すずし」と詠んだのでしょうか。
それは実は、高野一栄の家にいるときの気持ちを表現したものだったのです。
最上川のほとりにあった高野宅は、川の上を通って温度を下げた風が良い具合に部屋に入り込んできました。
これがそうとう心地良いものだったのです。
この句が詠まれたのは1689年5月29日ですが、新暦でいえば7月15日にあたります。
夏真っ盛りです。
旅人であった芭蕉にとって、夏の暑さを少しでも回避できることは、かなりの喜びだったのです。
ですから「すずし」には、「この家は素晴らしいね」という、高野一栄に対する賛辞と御礼の意味が込められているというわけです。
ところが数日後、芭蕉は身をもって最上川の真の姿を思い知ります。
芭蕉は最上川を船で下ったのですが、奥の細道に「舟あやうし」と記されているほど、濁流に翻弄された大変な川下りだったのです。
後日、「すずし」は「はやし」に改められました。
そちらのほうが最上川の大観を表現するのに適切だと判断したわけです。
「日本三大急流」の一つとして有名になった最上川。もちろん芭蕉のおかげです。
夏草や 兵どもが 夢の跡
これもまた1689年5月、芭蕉が奥州平泉の地を訪れたときに詠んだ句です。
平泉といえば、源義経が自害した地、そして義経をかくまった奥州藤原氏が頼朝によって滅ぼされた地です。
兵(=つわもの)というのは、まさにその人たちのことを指しています。
父・義朝を殺した平家への復讐の念を抱いて平泉に入った義経は、平家を滅ぼすことはできたものの、兄・頼朝との対立により、最終的には自害に追い込まれます。
そして、義経をかくまったことを罪とし、頼朝は藤原泰衡を殺し、100年以上にわたって栄えた奥州藤原氏を葬り去ったのです。
様々な夢や野望が行き交ったこの地、義経の拠点にも、今となっては夏草が静かに生い茂っているだけなのだなぁ…と、芭蕉は当時を偲んで詠んだのです。
義経の自害と奥州藤原氏の滅亡は1189年。奇しくもちょうど500年後にこの地を訪れたのが芭蕉でした。
500年前は平安京に次ぐ人口を誇り、栄えていた平泉。当時の影も形のない景観に対して、芭蕉は何とも感慨深くなったわけです。
ですから、この句に詠まれている情感は、平家物語の「諸行無常の響きあり」の一節に通じるものがありますね。
平家物語の続きのように捉えることもできるわけです。
平家を滅ぼした立役者の1人である義経もまた、間もなく死に追いやられてしまったんだなぁ…と。
そのように考えると、非常に深みを持つ句のように思えてきます。
さて、奥州藤原氏を滅ぼした頼朝は、征夷大将軍となり、鎌倉幕府を開くに至ります。
朝廷から独立した政権は、そこから延々と、680年以上も続くこととなったわけですが、それもまた明治維新により終りを告げました。
やはり永続するものなど、何一つないのですね…歴史に思いをはせるほど、この句はどんどん深い味わいをもたらしてくれます。